「人件費はコストである」
企業の財務諸表において、人件費は費用として計上されます。これは会計上の論理であり、そこには明確な理由があります。人を雇えばコストが発生し、そのコストを上回る収益を上げ続けなければ、企業は存続できません。経営者が「人件費を圧縮する」と言うとき、それは企業が存続し、株主への説明責任を果たすための、合理的な意思決定として成立してきました。
1990年代以降、この発想はさらに明確になりました。企業の目的は株主価値の最大化であり、そのために資源を最も効率的に配分し活用することが経営者の責務であるという考え方が広まりました。人材についていうと、人材は必要なスキルを持つ人物を必要な時に市場から調達し、必要でなくなれば手放す。教育や研修は、労働市場に適合させるための必要悪、あるいは単なるコストであり、避けられるならば避ける方が合理的とされました。労働市場が機能していれば、このモデルは合理的です。コストを削減した企業の株価は上昇し、経営者は評価され、投資家は満足しました。
この論理に異を唱えることは、しばしば「感情的」あるいは「経営の現実を理解していない」と受け取られることもありました。
即戦力採用戦略とその転換点
そのような背景で、AIが技術として一般的に利用されるようになりました。それを使う人材の調達についても同じ発想が当てはめられました。AIスキルを持った人材を外部から採用すれば、内製不要で業務効率化は達成できるという考え方です。人材育成に時間とコストをかけるより、即戦力を市場から調達した方が早い。この発想は、過去30年ほどの慣行のなかで「合理的な選択」として定着してきました。
米国ケンタッキー州では、13年間にわたってのべ1400人をIT職種へ送り出してきたプログラミング支援プログラム「Code:You」が、2026年8月に閉鎖されることが決まりました。閉鎖の理由は、訓練を希望する人は十分にいるにもかかわらず、未経験者向けの求人そのものが枯渇したことにあります(ZDNet Japan, 2026年7月17日)。この事例は、米国のIT人材需給の構造変化を象徴するものとして注目されています。企業は「即戦力」を求めますが、その「即戦力」の定義が変わっています。技術スキルだけでなく、その会社の業務文脈を理解し、業界の慣習を知り、社内の例外処理の背景まで把握したうえで動ける人材——そういう人材は、市場でそのまま調達できるものではありません。
仮に業界経験のある優秀な人材を採用できたとしても、「その会社の仕事の流れ」を身体で覚えるまでには相応の時間がかかります。顧客との過去のやり取り、部署間のパワーバランス、なぜそのルールが存在するのかという歴史的文脈——こういったものは、引き継ぎ資料を読んでもすぐには身につきません。外部から調達して即戦力として使うという戦略は、スキルが移転可能であることを前提にし、業務知識の価値にはそれほど重みを置いてこなかった面があるように思います。
ZDNet Japanの記事によれば、この現象から「リスキリングの責任が個人から企業へ移行している」と論じ、実際IBMは将来のスキルギャップを防ぐため2026年初頭にエントリーレベル採用を3倍に増やす方針を示しています。この事例が示しているのは労働市場の転換ですが、このような現象から私が考えたいのは別の問いです。それは、「見えない資産」と長期雇用の経済合理性という問題です。
AIが証明したこと
AIの急速な普及が明らかにしつつあるのは、「人はコストである」という計算が、帳簿に載っていなかった資産を見落としていたのではないかという点です。ZDNet Japanの同記事によると、BCGのBedard氏はこの変革の本質は労働力の変革であり、データ・アルゴリズムは10〜20%に過ぎず、残りの70%はプロセスに関わる人材が握るとの見解を述べています。
プロセスに関わる人材がなぜ大事なのでしょうか。そこにははっきりとは書いてありませんが、考えられる要素として、長年の業務を通じて組織に蓄積されてきた知識があるのではないでしょうか。それは数値として現れることはなくても、確かに存在していました。そして、その知識こそがAI時代の競争力の核心になることが、いま指摘されつつあります。
生成AIは、自然言語でやり取りができます。プログラミングやコーディングを習得しなくても、日常の言葉でやりたいことを伝えれば、相応の出力が得られます。そのことから、「プロンプトをどう書くか」が重視され、プロンプトエンジニアリングへの注目が高まりました。
AIに指示を出すとき文章の構造を整える、指示を明確にするという改善は確かに効果があります。プロンプトの中で、AIへの作業指示、背景事情、役割などを明確に分けると、AIはよりよい出力を返します。今のAIは確率モデルで動いており、プロンプトの解釈も確率的に行っています。そのため、人間がAIに伝えたい趣旨が分かる形式でプロンプトを入力すると、人間の意図通りにAIが受け取る確率が高まります。
しかしそれだけではなく、AIに「何を情報(文脈、コンテキスト)として渡すか」によって大きく出力が異なってきます。業務でAIを使う場合、業務のどの情報が今必要なのか、どの部分の文脈をAIに理解させれば適切な出力が引き出せるのかを判断して実際に言葉して渡せることが大事になってきます。
そして、AIの出力を鵜呑みにせず、自社の実情と合わないところを見抜いて取捨選択してAIの出力を活用することが必要になります。こういった判断には、社内の業務の進め方やそれにまつわる事情、アウトプットに求められるクオリティの感覚など、その業務を体感的に理解している必要があります。
すると、少なくとも、文脈依存性の高い判断が求められる業務領域では、プロンプトのテクニックより業務知識の深さが出力の質を左右する——これが現時点での現場で見られ始めた現象ではないでしょうか。私自身がAIを活用する中で、AIがプロダクトとして成熟するほど、ツールとしての使い方は容易になると感じます。すると、ツールへの習熟度よりも「何を問えばよいか」が重要になり、適時に的確な表現で問えるかどうかが、出力の質を左右する感覚があります。
これを業務経験との関係で考えてみると、経験年数が長くなるに従って業務の勘所、例外処理の背景、顧客との信頼関係の経緯の記憶が蓄積されます。こういった知識は、管理の指標として数値化されてきませんでした。しかし、数値化されなかったことは、それが存在しなかったことを意味しません。管理という活動の手が届かなかっただけで、その知識はずっとそこにありました。そして、AIという道具を得ることで、経済的な価値として可視化されています。
知っている人は、知っていた
ピーター・ドラッカーは、1990年代初頭にすでに「知識は現代の基本的な経済資源であり、知識労働者こそが組織の最も重要な資産となる」と論じていました(『ポスト資本主義社会』、1993年)。知識は機械のように取り替えることができず、知識労働者を「コスト」として扱う経営は長期的に組織の力を失わせると警告していました。同時期、経営学や組織論の分野でも、短期的な業績指標への過度な依存が組織の学習能力と革新力を損なうという議論が積み重ねられていました。経営学者は、「株主価値の最大化」を唯一の経営目標とする発想の危うさを、さまざまな角度から指摘してきました。
警告を発してきたのは、経営学者だけではありませんでした。社会心理学や組織行動科学の分野では、人間の動機づけが経済的なインセンティブだけでは説明できないことが、明らかにされてきました。人は良い組織の一員であると感じられることで自己の価値を感じ、信頼されることで力を発揮し、組織内の公正性の感覚が損なわれるとやる気(morale)を失います。安心して失敗できる環境がなければ挑戦は生まれず、意義を感じられなければ知識は組織の外へ向かいます。
企業は人間によってできているという、毎日の仕事の場で誰もが目にしているはずの事実が、経営の意思決定においては必ずしも十分な重みを持たない面があったのかもしれません。人間の行動の複雑さについての知識は、学術の世界では着実に蓄積されていました。それが経営の実践に接続される回路が細かったのかもしれません。測定できるものが優先された結果、測定しにくいものが実務から遠ざけられてきたのかもしれません。
では、経営学、組織行動学、社会心理学といった分野で知見が蓄積されていたのになぜ実践に還元されなかったのでしょうか。
理由のひとつは、時間軸の問題にあったと考えられます。人材への投資が組織の力として現れるまでには、数年から十年単位の時間がかかります。そして、組織としての企業への影響が無視できなくなるほどになるのにはさらに長い年月がかかります。
その効果は、四半期ごとの決算書には現れません。一方で、人件費の削減は短期間で反映されます。測定できる指標を短期で良くするという圧力が、短期的に報われる方向の意思決定を強化してきた、ということなのかもしれません。これは個々の経営者の判断の問題というより、市場構造の中でそのような圧力が働いていた、とみる方が妥当かもしれません。
このような環境の中で、人を育てることに力を注ぎたいと考え、それを実行することは困難だったと思われます。すぐに利益額等の数字で結果が出ないからです。むしろ、短期的にはキャッシュの流出をもたらします。周囲からは「感情的だ」「甘い」と言われたかもしれません。
しかし、その判断は、測定されていなかっただけで確かに存在していた大きな帳簿を見ていた、ということになるかもしれません。
AIが普及することで、そうした見えない資産がわかりやすい価値を持つようになりました。逆に30年間「合理的」と考えられていた考え方が、実は帳簿の半分しか見ていなかった、ということになるのかもしれません。
AIの普及が整えた条件
AIツールを導入し、社員が皆使いこなせるようになると、長年の業務知識を持つ熟練者の生産性が向上します。その人が持つ暗黙知を言葉に変換して必要な時に随時AIへの入力として活用することで、外部からは複製できない判断と出力が生まれます。判断の精度が上がり、良い結果をもたらせば、そういった結果はやがて財務諸表にも現れるでしょう。競合との差別化もできるかもしれません。
世界経済フォーラム(WEF)が発表したレポートでは、世界の雇用主の77%が従業員のスキルアップを計画しているといいます。AIが普及してくると、長期雇用と人材育成が倫理的な選択であるだけでなく、経済的に合理的な選択として成り立つ基盤が生まれてきました。人材を「見えない資産」として大切にしてきた経営は、いまや「正しかっただけでなく、賢かった」と言えるかもしれません。
測定されてこなかったものの値段
組織の中には、ずっとそこにあったのに、値段がつけられてこなかったものがあります。
ベテランが新人に自然に伝えてきたコツ。顧客の言葉の裏にある本当の意図を読む経験。例外処理の際に「こういうときはこうする」と判断する感覚といったようなもの。これらは、バランスシートには載ってきませんでした。しかし、それが存在しなかったわけではなく、測定されなかっただけといえます。
AIが自然言語で機能するいま、その「測定されなかった知識」が、組織の競争力を左右する局面が生じていくのでしょう。こうした知識を持つ人材は、外部から調達することも、短期間で育成することもできません。このような代替不可能な知識こそ、AI時代に価値のある資産として浮かび上がってきています。
組織に蓄積されてきた、測定されてこなかった知識やノウハウに、これまでどのような価値を見いだしてきたでしょうか。そして、これからはどのような値段をつけることができるでしょうか。
藤田政博(藤田総合研究所)
